まだ昼の熱が残る夕方。
斜めに照りつける太陽は、夕方独特の光と熱を発している。
そんなエンジュシティの中心部では暑いなか、いつもと違う様々な人が行き交い、賑わいを見せていた。
そこから外れた所にある閑静な住宅街。その一軒家。
通りに面している所以外は木に覆われ、周りより広い敷地がさらに家の中を窺わせない。
それはその家主の神秘さを現しているようである。
そんな人の気配を感じさせない家の中、今日は元気な声が外にも聞こえるほどに響いていた。
ばたばたと急く足音。
庭に面した窓際で外を見ていた家主は、その音を聞いて視線を家の中へと向ける。
すると間もなく、廊下とこの部屋を繋ぐ扉が開かれた。
「マツバさーん、準備出来ましたー! あ!浴衣かっこいいですねー!!」
扉を開くなりそう口にした少年は、元気よくマツバの元へ駆け寄った。
その姿を見て、マツバは優しい笑顔を向ける。
「ありがとう。ヒビキ君もその甚平、似合ってるよ」
この日、二人はいつもと違う服装をしていた。
ヒビキはいつもの赤いアウターや七分の黒いズボンを脱ぎ、軽い、鮮やかな水色の甚平を着ていた。特徴的な黄色と黒の帽子も被っていない。とてもラフな格好だ。
それに対してマツバもいつものマフラーや黒い長袖、白いズボンを脱いで、緑の落ち着いた木賊色の浴衣を着ていた。
ただ、こちらはまるで普段着です、といわんばかりに着こなし、似合っていたが。
そんなマツバに満足し、ヒビキはにっこり笑って、腕を振り上げた。
「じゃあ行きましょうか!」
期待に目を輝かせるヒビキに、マツバは少し困ったような顔を見せる。
「うーん、本当に行くのかい?ここからでも見れるんだよ?」
「何言ってるんですか!お祭りなんですよ!行かなきゃソンじゃないですか!」
そんな言葉ではヒビキは止められなかった。
逆に興奮して、マツバに迫る勢いが増す。
「それにお祭りっていったらフランクフルトに、わたあめに、からあげ、焼きそばたこ焼きはし巻きベビーカステラりんご飴!!」
全て縁日の出店の食べ物であることに少し呆れ顔のマツバである。
「そんなに食べるの…?」
「食べたいです!」
「さっきご飯食べたじゃないか」
「べ…別腹!!」
「なわけないだろう」
確かになんとも言えない満腹感はあるけれども、そんなことでヒビキがめげるわけはない。
もしかしたらはじめからそのつもりで、自分にご飯を食べさせたのでは、という考えが浮かびもしたが。
何も、ヒビキを止めるものはなかった。
ヒビキは再度、両腕を上げ
「まっいいじゃないですかっ 行きましょう、 花火大会!!」
高らかに響く声で、言いきった。
太陽は少しずつ沈み、人々が待つその時へと、期待を膨らませていった。
花火大会
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「わ―!人多いですね―さすが―!」
「エンジュの花火大会は初めて?」
「はい!」
二人は町の中心部に来ていた。
花火が良く見える場所。そこに向かう大通り。
そこにはエンジュの人々だけでなく、近くまたは遠くの町に住む人々が集まっていた。
そして、その人々を客にしようと、縁日の出店が所狭しと並んで、すごい賑わいを見せている。
その道の始まりあたりに来た二人。
人が多いというのは少しわずらわしいが、その楽しい雰囲気が少年を興奮させる。
ヒビキの楽しそうな表情に、マツバは来てよかったなぁと微笑んだ。
そして人が多いのではぐれないように手を繋ごうとした、が
「あ!フランクー!!」
色気より食い気である。
お目当ての文字を見つけるなり、まっしぐらにその店に駆けていったヒビキは、マツバの意図には一切気付いていなかった。
「…………はぁ……」
先が、思いやられた。
「そんなにせわしなく動くと、はぐれてしまうよ」
「ふぁ、すみませんっ」
すでに戦利品を頬張っていたヒビキは、一瞬相手の存在を忘れていた。
急いで飲み込んで相手に謝ると、その人はいつも通りの笑顔をくれる。
それが嬉しくてこちらも笑顔になった。
その時。
「あら、マツバはん。今晩は。」
「ああ、やあ。きみか。」
ヒビキの後ろからきれいな女性が話しかけてきた。
ヒビキは知らない人だったが、マツバとは知り合いのようである。
「珍しいどすなぁ、マツバはんがこないな所に顔出すなんて。そのボンにせがまれたんどすか?」
「ああ、まあそんな所だよ」
自分の上で交わされる会話。
浴衣を着こなした男女はすごく絵になるな…と感じた。
自分には入り込めない、そんな気がして…
いや、そんなことじゃだめだ。
だってこの人の恋人は自分なのだから。
負けられない、と意気込んで声を出した。
「――あの…」
「きゃあ!マツバさんや!」
「うわっ!本物やん!」
決意の声は黄色い声にかきけされてしまった。
何事かと思い、周りを見れば、同じくその声に導かれて、沢山の人がこちらを向いている。
そしてそれが伝染していった。
「おお、マツバくん、久しぶりだね」
「あのっマツバさん!写真一緒に撮らせて下さい!」
マツバの知り合いから、ただのファンまで。
一度注目を浴びると、さっきまで二人でいたのが嘘だったかのように、マツバの周りは人で溢れてしまった。
そしてヒビキは人の波に流され、いつの間にか茅の外である。
「………」
なんだろう、流石この町のジムリーダーといったところか。
マツバは顔がいいうえに、人あたりもいい。
そりゃ、人気なのは言わずもがなだけど…
「あ…だからか」
祭りに行きたくなかった理由。
マツバは騒がしいのが好きではない。
マツバ自身も修験者というだけあって、その雰囲気は気高いというか、静かな威圧感がある。
だから普段なら知り合い以外にはそうそう町中で声をかけられたりしないのだが、
今日はお祭り。
周りの雰囲気がマツバのオーラを消しているのか、皆のテンションが高いのか。
何はともあれ、もう二人にはなれそうにないな、と思い小さなため息をこぼした。
その姿を、マツバは見逃していなかった。
「あの、申し訳ないのですが」
りん、と響くマツバの声。
周りの人々もその声に耳をかたむける。
…なんという技だろうか。
ヒビキはふと、そんなことを考えてしまった。
なんだか先ほどまで薄れていたマツバのオーラが、突然発揮されたようである。
そんな本人はなに食わぬ顔で、人をかき分け、ヒビキのもとまでやってきた。
そしてにっこり笑って
「今日はちょっと、彼とのデート中なので、失礼するよ」
「っ――!!?」
「えー!!」
周りの人々も驚いたが、一番驚いているのは言われたヒビキ本人である。
「あらあら、お熱いどすなぁ」
「ちょ!マツバさっ…」
「さ、行こうかヒビキ君」
「あっ…」
集まっていた人々の落胆や冷やかしの声を置いて、二人はその場から離れていった。
賑わう大通りから少し抜け出し、近くの小さな公園に入る。
「ごめんね、ヒビキ君。」
「いえ。でも来たくなかった理由、わかりました。
…すみません。」
「いいんだよ。さ、せっかく来たんだ、君に楽しんでほしいな。」
マツバは優しく笑ってヒビキをみつめる。
この人はなんでいつも、欲しい言葉をくれるんだろう。
ヒビキは申し訳ない、という気持ちからもう帰ろうと思っていた。
これ以上つれ回すことは迷惑だと、なのにマツバは自分を優先してくれる。
自分が考えていることを読んで、自分の望みを叶えてくれる。
だって、今だって二人きりになりたいという先ほどの願いを叶えてくれたのだ。
流石に甘え過ぎだ、と言葉につまったが、マツバはマツバで、言い出したことは譲らないタイプである。
他人のこと、なおのこと、ヒビキのことには。
右手をヒビキに向け、とどめの一言、
「楽しもう、ヒビキ君」
まったくどこの紳士だと気恥ずかしくなったが、
その人の隣が一番心地いい。
「っ、はい!」
そうして二人は手を繋いで、幸せそうに大通りへと戻っていった。
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